大阪高等裁判所 平成8年(う)91号 判決
裁判所書記官
兵頭孝明
本籍
京都府相楽郡精華町大字柘榴小字垣内五三番地
住居
右同所
会社役員
中井靖郎
昭和八年一月二日生
右の者に対する所得税法違反事件につき、平成七年一〇月一二日京都地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官重富保男出席の上審理して、次のとおり判決する。
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人齊藤洌作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。
論旨は、被告人を懲役一年及び罰金五〇〇万円に処し、三年間懲役刑の執行を猶予した原判決の量刑は、刑期、金額及び執行猶予期間のいずれにおいても、重すぎて不当であるというのである。
そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討すると、本件は、被告人が自己の長女ら親族と共有する土地を不動産会社に売却するに際し、第三者を名義上の買受当事者とした上、売買価額を真実の価額より低額に仮装し、自己及び長女の平成三年分の各所得税を免れようと企て、右会社の代表者らと共謀の上、自己及び委任された長女の各所得税の申告をする際、原判決のとおり売買価額を過少に申告し、所得税合計四六五九万四〇〇〇円を免れたという事案である。記録にあらわれた本件各犯行の動機、罪質、態様及び右ほ脱税額等に照らすと、本件の犯情は悪質で、被告人の刑事責任は軽視できない。
そうすると、本件の端緒や手口は、被告人ら共有の土地を取得しようとした前記不動産会社の関係者からのもちかけによるものであること、ほ脱率が必ずしも高くはないこと、被告人が本件各ほ脱にかかる本税、重加算税、延滞税などをすべて納付し、長年勤めた町会議員を辞職するなど反省の態度を示していること、本件が報道されたことにより相応の社会的制裁を受けていること、被告人には罰金前科一回以外に前科がないことなど、被告人のために酌むべき事情を十分に考慮しても、原判決の量刑は、その刑期、罰金額及び執行猶予期間のいずれにおいても相当であり、これが重すぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。
よって、刑事訴訟法三九六条により、本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 宮嶋英世 裁判官 政清光博 裁判官 遠藤和正)
控訴趣意書
所得税法違反 被告人 中井靖郎
右の者に対する頭書被告事件についての控訴の趣意は左記のとおりである。
平成八年三月一九日
右弁護人弁護士 齊藤冽
大阪高等裁判所第六刑事部 御中
記
第一 はじめに
原判決は、被告人に対し、懲役一年(三年間執行猶予)及び罰金五〇〇万円を言い渡しているが、量刑著しく重きに失して不当であるから、到底破棄を免れない。
第二 量刑不当について
一 原判決は、逋脱額が高額であり悪質であるものの、被告人が反省している旨の口頭説明だけで、その余りの量刑事情を説明せず、また、裁判所に量刑の理由を一切記載しておらず、懲役一年及び罰金七〇〇万円の求刑に対し、前記判決をした理由が不明であるが、本件動機・逋脱額・逋脱率・犯行態様・社会的制裁等の犯行後の状況・再犯のおそれがないことなど被告人に有利な情状を考慮すれば、さらに罰金刑を減刑し、懲役刑及び執行猶予期間を短縮すべきであり、これらの点において、量刑著しく重きに失して不当であるから、到底破棄を免れない。
二 被告人の犯行動機に同情すべき点が認められる。
1 被告人の各犯行は、以下の経過から、共犯者石橋平和(以下、単に「石橋」という。)らの誘引により敢行されたものと認められる。
すわなち、被告人は、一人暮らしで喘息に罹患している実姉柏原正子の面倒を見るため、宅地を購入しようとしたことを契機に石橋が代表取締役の丸石商事株式会社(以下「丸石商事」という。)に仲介を依頼した。
ところが、同社は、当時、近鉄不動産から秘密裏に新線の敷地等の買収を依頼されており、その実現のため、被告人ら所有の不動産を買収しようと考え、売却金額の圧縮等の後記方法を被告人に教えて、本件不動産の売却を勧めたのである。
これが本件の発端であり、被告人は、丸石商事が近鉄不動産から秘密裏に新線の敷地等の買収を依頼された事実を本件捜査中に捜査官から教えられて知ったものである。
被告人は、丸石商事から、売却金額を圧縮しても、赤字の共犯者岡田勇を介入させることにより税法上うまく処理できるので、脱税が発覚するようなことはない旨の説明を受け、若干の不審さは持ったものの、同社が精華町の大手業者で近鉄不動産をバックにしており、その代表者の石橋が町議会議長をしていることから、その話は信頼できるものと考えたため、自己及び親族所有の多数の不動産を処分する気になり、また、平成四年度には不動産譲渡所得に対する課税率が上がると聞いていたこともあって、その処分を急ぐ気になったのである。
被告人は、丸石商事の勧めさえなければ、本件の様な事件を起こさなかったものであり、言い換えれば、被告人は丸石商事に甘言を持って斯罔されたと認められるのであり、動機において、被告人に同情すべき事情が認められる。
2 検察官は、論告において、「自らの営利目的のために憲法上課せられた義務をないがしろにしようとしたものであり、身勝手極まりなく、動機に酌量の余地はない。」と主張するが、被告人においては、丸石商事からの勧めさえなければ、右柏原のための宅地の購入及びその代金支払に必要な不動産の売却で終了し、本件各犯行には至らなかったことが認められるのであり、右主張は失当である。
三 逋脱額・逋脱率・犯行態様について
1 被告人が関与した本件の逋脱額は合計四、六五九万四、〇〇〇円で、それほど高額とは言えず、脱税率は、被告人分が二二・七パーセント、中井康恵分が二六・四パーセントで、それぞれそれほど高率とは言えない上、自ら脱税しようと考えたこともなく、石橋らが考えた脱税方法及び脱税率に従い、不動産売買契約書の売買金額につき、丸石商事の従業員である藪下秋生の計算に従った記載をしたに過ぎないものであり、被告人の行為は悪質とは言えない。
2 検察官は、論告において、「犯行態様が悪質である。」と主張するが、右のとおりで、被告人が石橋らが考えた脱税方法及び脱税率に従ったに過ぎないのであり(このことは、後記のとおり、被告人は本件に関する資料を全部残していた事実から十分認められる。)、裏金を秘匿したことを悪質と評価するのは不当である。
3 平成七年度の犯罪白書によれば、平成六年度(会計年度)の所得税法・相続税法違反の一件当りの平均逋脱額は三億四、六〇〇万円に上っており(同犯罪白書二三一頁)、最近五年間の通常第一審において所得税法・相続税法・法人税法違反により有期懲役を言い渡された者一六二名の刑期は、六月以上一年未満が二三名で全体の一四・二パーセントで、執行猶予率は八七・〇パーセントとなっている(同犯罪白書二三二・二三三頁)。
これを被告人と比較すれば、逋脱額は平均逋脱額の一三パーセントになるので、その刑期は六月以上一年未満となることになる。
4 他の諸情状を考慮すれば、被告人の刑期は最短期が相当で、執行猶予期間もさらに短縮されなければ、平等原則に反することとなる。
控訴審において初めて主張する左の後記事情も考慮すれば(控訴審で立証する。)、なおさら平等原則に反すると思料する。
被告人には、原判決言い渡し後に精華町議会議員を辞職しているという有利な情状事情がある。
また、被告人と同様に事情聴取を受けた精華町議会の中谷真和議員は、一億円以上の過少申告事実があるにも拘わらず、今日まで、何等の処罰も受けておらず、議員を継続しているが、同人と被告人との比較においても、被告人の刑期を最短期にし、執行猶予期間もさらに短縮し、罰金額も下げなければ、極めて不平等な結果となることは明白であろう。
四 社会的制裁等の犯行後の状況等
1 本件では既に適正な課税が実施されている。
被告人は、本件発覚後、自己が関与した件全部につき、修正申告を行い、修正申告額、過少申告加算税、重加算税、延滞税及び地方税の全額を収め、かつ、右柏原及び中井正一分については、当人らに対し申し訳ないとの思いから、自己の不動産の売却によって得た金員から、納付又は賠償しているところ、既に、本件に関しては適正な課税が実施されている。
2 これに伴う被告人の損失は多額に上っている。
右納税及び丸石商事に対する謝礼による赤字分は、一億円を下らない状況にある。
すなわち、被告人が丸石商事に支払った謝礼(これは共犯者岡田勇に渡ったものと思料される分のみである。)が四、〇〇〇万円を下らず、また、弁一号証から判るとおり、適正な納税をなしておれば支払う必要のなかった過少申告加算税、重加算税、延滞及び地方税の合計額が六、〇〇〇万円を下らないのである。
これらを考慮すれば、原判決の罰金五〇〇万円の言い渡しは酷に過ぎることが明白である。
3 被告人は、既に十分な社会的制裁を受けている。
(一) 被告人は、捜査・公判を通じて、自己の犯行を素直に自認し、新聞等のマスコミで大きく報道され、既に社会的制裁も十分に受けていると認められる。
(二) さらに、原判決後の事情として、被告人は、平成七年一〇月一二日に原判決の言い渡しを受け、改めて自己の犯行を悔悟し、同月二六日付で精華町議会に対し辞職願を提出して、同日、辞職許可の通知を受け町会議員の身分を失っており、この意味においても、社会的制裁も十分に受けている。
五 再犯のおそれがないことなど。
1 被告人は、本件に関する資料を全部残しており、捜査機関に押収ないし提出しているが、資料のかいざんはもとより、一切の証拠隠滅工作もしていないことが明白である。
2 被告人は、古い業務上過失傷害以外に前科はなく、議員活動をする傍ら会社を経営し、農業も営み、困っている人のために誠意をもって救助活動を行い、本件不動産取引を除いていは、きちんと納税をしている人物であり、前記のとおり、改悛の情が顕著であると認められ、再犯のおそれはないと認められる。
第三 以上のとおり、原判決は、被告人に対し、以上の被告人に有利な情状面を十分考察・評価しないまま懲役一年(三年間執行猶予)及び罰金五〇〇万円の判決を言い渡した点において量刑著しく重きに失して不当であり、到底破棄を免れず、さらに判決後の事情である町会議員辞職を加味すれば、原判決の罰金刑を減刑し、懲役刑及び執行猶予期間を相当短縮しなければならないものである。